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「哀しみの蔦かずら」は妻がなんども描いてきたモチーフだった。心のなかで描いたモチーフだった。白いキャンパスに向かうとなんとなく心が動いて、蔦かずらを描いていた。これまでに蔦かずらを描いたのは八十枚近くになっていた。そんなことを思いながら、古城の蔦かずらをスケッチしたそうだ。
その晩のことだ。その古城に住んでいた人たちが妻のところへやってきたと、妻は夢うつつに思った。今でも、その人たちの服装などいつでも描けるといっている。ホテルの部屋いっぱいになるほど、多くの人がやってきて、いろいろの話をしたそうである。おかげで、古城の内部のたたずまいまで手にとるようにわかった。城内の部屋割りも書けるそうだ。
妻が少女時代に画家を志してパリに留学したとき、下宿先の「アンおばさま」からおくられた首飾りの話も出たそうである。帰国するときにアンおばさまから贈られたものだと妻がいうと、それは最初からあなたのものだと夢のなかの人がいった。その首飾りは十四世紀のアメジストが連っていて、アメジストのまわりは小さな砂粒ほどの真珠がとり巻いているという細工がほどこされていた。現代のアメジストは光澤が濃いが、妻のもらった十四世紀のものは色が淡かったようである。妻のいう「アンおばさま」はもとフランスの王室に仕えていた科理人の家の出で、先祖はフランス革命のときにのがれて、かくれて生活していた。妻はこの人にフランスの社交界のルールや古いものを大切にすること、女らしさなどを習った。
妻はこどもの時から「マドンナの宝石」という曲が好きで、妻の妹が作文に書いたこともある。妻は「紫の絵描き」とみずからいっているくらいに、よく紫を使って描いているが、これはアメジストの色だったかも知れない。
「朝になったから、おいとまするわ」と人々が帰りかけた。妻は「帰らないで、私はトリノにいる」と泣き叫んで人々を押しとめた。大粒のなみだを眼から出してベッドの上に坐っていた。
それを亜矢がみて「どうしたの」と起きてきた。午前七時であった。
朝食をすませた二人は川をスケッチしようというので、ホテルの人に聞いた。「古城とは反対の方向へ行くと、すぐ川があります」と教えてもらって歩いて行った。ところが行き着いたところは、なんと昨日の古城の前であった。妻はなんとなく、背筋がさむくなったそうだ。
ふたりは列車に乗って、ベローナヘ向かった。ひるごろにはベローナのホテルヘ着いたが、ふたりは疲れ果てていて、そのまま眠った。夕食だけたべて、その日はすごしてしまった。ベローナでは、有名な観光地を避けて、裏道ばかりたどって歩いたそうだ。
夕ぐれどき、坂道を登って行くと、蔦かずらのまつわりついている土塀に行きあたった。妻は一瞬、いきを飲んだ。そこには、これまで何枚か描いた「哀しみの蔦かずら」と全く、同じような光景が存在していた。蔦かずらのまつわりついている土塀の白いところなど、そっくりだった。
その付近に「ボルジワ」と刻まれた古い門標があるのが眼に入った。門標はくずれていたが、字は読みとることができた。妻が驚いたのは二十数年前の作品に「古城ボルジワ家」というのがあったからだ。これには、腰がぬけるほど驚いたそうだ。
どうして作品にボルジワ家という家名を使ったのか、出典がなんだったか、全く記憶にはないそうだ。それが眼の前に実在していたのだ。
かろうじて円形劇場に出た。人々がいっばいいて楽しんでいた。妻と亜矢とはやっと心やすらぐ思いで、スケッチの筆をとることができた。
ホテルに帰って、そのスケッチを亜矢のスケッチブックとならべて、整理ダンスの上に置いて眠った。翌朝、妻のスケッ

 

 

 

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